前衛小説は、個々の作家の孤立した試みの集合体であると同時に、特定の時代や場所に集中して発生した、いくつかの大きな「動向」として捉えることができる。これらの動向は、互いに影響を与え合いながら、前衛小説の歴史を形成してきた。
モダニズムは、19世紀的な世界観からの根本的な決別であった。ニーチェの「神の死」に象徴される価値観の崩壊、ダーウィンの進化論がもたらした人間中心主義への揺らぎ、そしてマルクスによる社会構造の分析は、安定した自己や客観的な現実という概念を根底から覆した。文学におけるリアリズムは、もはやこの複雑で断片化した世界を表現するのに有効な手段とは考えられなくなった。
モダニズムの作家たちは、この「表現の危機」に対し、外面的な世界の描写から、個人の内面、主観的な意識の働きへとその焦点を移すことで応答した。彼らは、フロイトが明らかにした無意識の広大な領域に分け入り、人間の行動が必ずしも合理的な意志に基づいているわけではないことを描き出した。ジョイスやウルフが用いた「意識の流れ」は、この流動的で非合理的な内面世界を捉えるための必然的な手法であった。
また、彼らは断片化した現実に新たな秩序を与えるため、神話や古典文学の構造を作品の骨格として用いる「神話的方法」を多用した。ジョイスの『ユリシーズ』がホメロスの『オデュッセイア』を下敷きにしているのはその典型例である。
1909年、詩人フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティがパリの新聞『フィガロ』紙上に「未来派宣言」を発表したことで、20世紀で最初の自覚的な前衛芸術運動が幕を開けた。彼らは美術館や図書館といった過去の遺産を破壊し、スピード、機械、戦争を「世界の唯一の衛生法」として賛美した。この思想は、文学においては、伝統的な構文や心理描写を特徴とする19世紀的小説の解体を意味した。
マリネッティが提唱した「パローレ・イン・リベルタ(Parole in libertà / 解放された言葉)」は、そのための具体的な方法論であった。構文の破壊、形容詞・副詞の追放、句読点の廃止、動詞の不定形での使用などを通じて、言語を論理的な意味伝達の鎖から解き放ち、物質やエネルギーのダイナミズムを直接表現しようと試みた。小説においても、タイポグラフィの実験やオノマトペの多用により、内面的な思索ではなく、機械が轟音を立てる都市の、多感覚的で同時的な体験を紙の上に再現することを目指した。この運動は、後にファシズムと結びつくという暗い側面を持つが、その過激な形式実験は、ダダやロシア未来派をはじめ、後続のあらゆる前衛運動に決定的な影響を与えた。
第一次世界大戦という未曾有の大量殺戮は、ヨーロッパの知識人たちに、理性や進歩といった西洋近代文明の理念そのものへの深い絶望を植え付けた。ダダイズムは、この絶望から生まれた最も過激な芸術運動である。「ダダ」という無意味な名称自体が示すように、彼らは論理や意味、そして既存の美の概念の全てを徹底的に破壊しようとした。トリスタン・ツァラのカットアップは、詩作を意図的な創造行為から、偶然性に身を委ねるゲームへと変えた。
シュルレアリスムは、ダダの破壊的なエネルギーを継承しつつ、それをより体系的な思想へと発展させた。アンドレ・ブルトンは、フロイトの精神分析理論を援用し、抑圧された無意識や夢の世界こそが、人間の真の姿を映し出す「超現実」であると主張した。彼らが実践した「自動記述(オートマティスム)」は、理性の検閲を逃れ、無意識の声を直接テクストに定着させるための技法であった。
イタリアの未来派に触発されながらも、ロシアの地で独自の発展を遂げたラディカルな運動。彼らは「社会の趣味への平手打ち」と題したマニフェストで、プーシキンやドストエフスキーといった過去の文豪を「現代性の蒸気船から投げ落とせ」と宣言し、伝統との完全な決別を表明した。その活動は、ロシア革命前夜の緊迫した社会情勢と共振し、芸術による社会変革の可能性を追求した。
ロシア未来派の核心は、言語そのものを革命の対象とする点にある。彼らは、詩の言葉を、意味を伝達する道具から解放し、それ自体の響きや形を持つ自律した存在として扱おうとした。その最も過激な実践が、ヴェリミール・フレーブニコフやアレクセイ・クルチョーヌイフが提唱した「ザウミ(超意味言語)」である。これは、既存の単語の意味から解放された、全く新しい音の組み合わせによる言語であり、詩を理性の束縛から解き放つための究極的な試みであった。
第二次世界大戦の惨禍と実存主義哲学の広がりを背景に、1950年代のフランスを中心に隆盛した。サミュエル・ベケットの戯曲『ゴドーを待ちながら』に代表されるように、不条理文学は、宇宙における人間の存在が本質的に無意味であり、理性的な説明や目的を見出せないという認識から出発する。カミュが『シーシュポスの神話』で論じたように、意味を求める人間と、意味を与えてくれない世界の「不条理」な関係性を描き出す。
カフカの作品が、不条理な状況に陥った人間の不安をリアルに描いたのに対し、ベケットやイヨネスコの不条理演劇は、円環的な時間、反復される無意味な会話、プロットの欠如といった形式そのものを通じて、世界の不条理を体現した。小説においては、登場人物の行動に明確な動機が与えられず、物語は論理的な結末を拒否する。
第二次世界大戦後、実存主義が文学界を席巻する中で、ヌーヴォー・ロマンの作家たちは、サルトル的な「アンガージュマン(社会参加)」の文学にも、バルザック的な伝統的リアリズムにも背を向けた。彼らは、世界が人間にとって意味のある物語として存在するという、人間中心主義的な世界観そのものを批判した。アラン・ロブ=グリエは、小説における比喩や擬人法を、世界に不当な人間的意味を塗りつける「密輸品」として厳しく退けた。
彼らの小説が、登場人物の心理描写を避け、執拗なまでに事物の外面を描写するのは、この思想的立場に基づく。彼らは、フッサールの現象学の影響を受け、世界を、意味づけられる以前の、純粋な「現象」として記述しようと試みた。その結果、彼らの作品では、読者は、意味や物語が剥奪された、異質で不気味な世界の前に立たされることになる。
1950年代のアメリカは、冷戦下のマッカーシズムと、画一的な消費社会の広がりの中で、息苦しいほどの同調圧に覆われていた。ビート・ジェネレーションは、この息苦しい社会状況に対する、最初の本格的なカウンターカルチャー(対抗文化)であった。彼らは、物質的な豊かさや社会的成功といったアメリカン・ドリームを拒否し、精神的な覚醒と根源的な自由を求めた。
その探求は、ジャズの即興演奏、ドラッグによる意識の拡大、そして禅や仏教といった東洋思想への傾倒へと向かった。ジャック・ケルアックの「自発的散文」は、書き直しをせず、意識に浮かぶままを一気呵成に書き記すスタイルであり、ジャズのインプロヴィゼーション(即興演奏)の精神を文学に持ち込もうとする試みであった。
アレン・ギンズバーグの長詩『吠える』は、社会から疎外された人々への共感を、旧約聖書の預言者のような力強いリズムで謳い上げた。ウィリアム・S・バロウズのカットアップは、言語を支配する権力構造(彼が「コントロール」と呼ぶもの)を内部から破壊するためのゲリラ的な戦術であった。ビートたちの文学は、形式的な実験であると同時に、社会の規範に対する異議申し立てであり、その後の公民権運動や反戦運動、ヒッピー文化へと繋がる、巨大な文化的・政治的うねりの源流となったのである。
1960年にフランスで、数学者のフランソワ・ル・リヨネーと作家のレーモン・クノーによって設立されたグループ。「Oulipo」とは「Ouvroir de littérature potentielle(潜在的文学の工房)」の略である。シュルレアリスムが偶然性や無意識を重視したのに対し、ウリポは、意図的に設定された厳格な「制約(constraint)」を用いることで、新たな文学の可能性を探求しようとした。
例えば、レーモン・クノーの『文体練習』は、バスの中で起こった些細な出来事を、99通りの異なる文体で記述した作品である。また、ジョルジュ・ペレックの『煙滅』は、「e」の文字を一度も使わずに書かれた長編小説であり、言語における最も基本的な要素を縛ることで、いかに創造性が刺激されるかを示す驚異的な実践例である。ウリポの試みは、文学がインスピレーションの産物であるというロマン主義的な神話を解体し、文学を一種の知的な「ゲーム」として捉え直す、ラディカルな試みであった。